スポーツ
武蔵丸が引退 4敗目喫し決断
2003/11/17
 大相撲史上2人目の外国出身横綱、武蔵丸光洋(32)=本名同じ、米国名フィアマル・ペニタニ、米国ハワイ州出身、武蔵川部屋=が九州場所7日目の15日、現役引退を決めた。

 同日夜、福岡県宗像市の武蔵川部屋宿舎で武蔵丸と相談した師匠の武蔵川親方(元横綱三重ノ海)が「(本人が)引退を決意しました。一生懸命やって何とか今場所を乗り切ろうとしたが、横綱としての使命を果たせないと判断した」と明らかにした。16日に引退会見する。

 67人目横綱の武蔵丸は左手首痛の回復が遅れ、先場所まで6場所連続で休場。進退を懸けて臨んだ今場所は本来の相撲とは程遠く、この日の土佐ノ海戦も引っ掛けで敗れて4敗目を喫した。

 武蔵丸は1989年秋場所に初土俵。99年夏場所後に曙に次ぐ2人目の外国出身横綱となった。史上最重量横綱で、体重は最高237キロに達した。どっしりとした取り口で史上6位の優勝12回をマーク。幕内勝利は史上4位の706勝。貴乃花が長期休場を続けた2001−02年は1人横綱として土俵を支えた。
星野監督の退任と岡田新監督就任を正式発表
2003/10/28 Mainichi
 プロ野球の阪神タイガースは28日、大阪市内のホテルで記者会見を開き、星野仙一監督(56)の今季限りの退任と、岡田彰布守備・走塁コーチ(45)の新監督就任を正式に発表した。星野監督は体調不良を理由に、久万俊二郎オーナーに辞任を申し出ていた。今後は非常勤の相談役的な立場でチームに残留するが、正式な処遇は未定。
 会見で星野監督は「2年間は短いかもしれないが、私にとっては5、6年にも感じる月日だった。(今後は)精いっぱい新監督をバックアップして、球界のために頑張っていく」と話した。岡田新監督は「阪神を常勝チームにするべく、若さを前面に出して前進していく」と決意を語った。
 星野監督の阪神での2年間の通算成績は153勝121敗6分け、勝率5割5分8厘。
阪神・星野監督が日本シリーズ後に勇退へ
2003/10/17 Mainichi
 18年ぶりのリーグ優勝を飾った阪神タイガースの星野仙一監督(56)が、日本シリーズ(18日開幕)後に勇退する意思を固めていることが16日、明らかになった。持病の高血圧や不整脈など健康面の不安が最大の理由。次期監督には岡田彰布・守備走塁コーチ(45)が有力視されている。
 星野監督は中日監督を経て昨季から阪神の指揮をとっていたが、高血圧などに悩まされていた。今季も7月27日の中日戦では体調不良で試合中にベンチ裏のベッドで休んだこともあった。その翌日には「死んでもやるよ。選手に申し訳ないやないか」と話し、リーグ制覇に意欲を奮い立たせていた。
 9月に巨人の原辰徳・前監督(45)が辞任を表明した際にも「せっかくの若い芽を摘んで、野球界はどうなっていくんや」と怒りの談話を発表するなど、星野氏にはプロ球界の今後を見据えた発言も多く、突然の勇退は阪神球団だけでなく球界全体にも大きな影響を与えるのは必至だ。球団側は星野氏の指導力を高く評価しており、勇退した場合もゼネラル・マネジャーとしての残留などを要請する模様だ。
 ▽日本シリーズのため福岡入りしていた阪神の桧山進次郎選手会長は宿泊先のホテルで「初耳です。あ然としているとしかいいようがない。それだけです」と語った。
 ◇星野仙一監督 略歴
 1947年1月22日、岡山県倉敷市生まれ。倉敷商高を卒業後、明大に進学し、法大の田淵幸一(現阪神チーフ打撃コーチ)、山本浩二(現広島監督)らライバルたちと神宮球場を沸かせた。68年のドラフト1位で中日入団し、闘争心を前面に出す投球で巨人キラーとして活躍。74年にエースとして中日をリーグ優勝に導き、沢村賞を獲得。82年に現役を引退。通算成績は146勝121敗34セーブ。87年から91年、96年から01年まで中日監督を務め、88年と99年の2回、リーグ制覇。02年に阪神監督に就任し、1年目は4位に終わったが、今季、阪神を85年以来18年ぶりのリーグ優勝に導いた。監督としての通算成績は919勝789敗33分けで、歴代13位の勝利数。リーグ優勝2日前の今年9月13日に母敏子さん(91)が亡くなったが、悲報は優勝まで周囲に伏せていた。
 ◇今季の経過
 野村克也前監督の後を受け、02年から阪神の指揮を執った星野監督は同年4位に終わった「敗因」を冷静に分析した上で戦力の大幅再整備に着手。広島で主砲を務めた金本、米大リーグで活躍した伊良部らの獲得に成功し、チーム全体に大きな刺激を与えた。
 一方で今岡、赤星、井川など生え抜き選手を、目先の結果にとらわれずにそれぞれの持ち味を生かして使い、他チームからマークされる選手に育てた。「グラウンドで起きたことの全責任を監督が負う」という強力なけん引力が「万年Bクラス」と言われたチームの意識を変え、選手に自信をも植え付けた。
 選手の役割分担を明確にさせたことで投手陣には粘り、打線にはつながりが生まれた。チームは4月26日に首位に立つと、2位以下とのゲーム差を着実に広げ、7月8日にはリーグ最速の優勝マジック点灯に成功。夏の長期ロード中は主力選手の相次ぐ故障もあって大きく負け越したものの、それまでの貯金を生かし、首位を明け渡すことなく9月15日に18年ぶりのリーグ優勝を決めた。
 ◇岡田彰布氏 生え抜き監督候補として期待
 次期監督に有力視されている岡田彰布・守備走塁コーチ(45)は、早くから生え抜きの監督候補として期待されていた。大阪・北陽高から早大に進み、ドラフト1位で80年に阪神に入団。新人王を獲得した。強打の二塁手として活躍。85年の優勝時はバース、掛布とともに伝説のバックスクリーン3連発の一翼を担った。94年にオリックスに移籍し、95年に引退。現役16年で1639試合に出場、打率2割7分7厘、247本塁打、836打点の成績を残した。
 オリックスのコーチを経て98年に阪神に復帰。2軍監督などを務めて、今季から1軍コーチに昇格した。
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